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2011年05月29日(日)更新

自分の時間単価を上げることを意識してみよう

先日、社員の命を守るためにも、過重労働は絶対にダメだというブログを書きました。
これは常日頃から、顧問先の御客様にも申し上げていることです。

それに対して、「『手取りを多くしたいので、残業をさせてくれ』と社員から言われるのです」と
おっしゃる経営者も中にはおられます。

労働時間を長くすることでしか、自分の手取り額が増えないと
考えている人がいれば、考え方を変えるべきです。

すなわち、労働時間を増やさないと手取りが増えない、ではなく
自分の時間単価自体を上げる方法を考えるようにするのです。

しかし、高く飛ぶためには一旦しゃがんだり、助走が必要なように、
自分の労働単価を上げる=ステージを変えるためには
自分の時間やお金を投資してでも、ステージを上がるための
力を身につけるべきです。

雇われている人は、自分に対する<投資>というマインドが
欠けている人が多いように感じます。
勉強のための本は会社が買ってくれるもの、研修は会社の費用で行かされるもの、と
考えていては自分自身の力にはなりません。

人間、最後は自分の力で生きていかなければなりません。
どんな大きな会社であっても何が起こるかわからない世の中です。
会社に頼ったり、会社のせいにするのではなく
自分の面倒は自分で見るつもりで成長させなければ
いつまでたっても、労働時間でお金を稼ぐ仕事しかできないのでは
ないでしょうか。

私は12年前、第二子出産のため
11年間勤務していた会社を退職しました。
当時の月給は32万円くらい。
賞与を入れて年収450万円程度だったと思います。

しかし出産後に勤務をした司法書士事務所では
時間給750円のパートタイマーでした。
9時から16時まで毎日仕事をしても月給は8万円か9万円。
前年の所得で計算される子どもの保育料が月額6万円くらいでしたので
ほとんど手元には残らない状態が1年続きました。

それでも、その条件で仕事を続けたのは、小さな子どもを二人抱えているという
ハンデがあることを認識していたので、無理して正社員で仕事をするのではなく
その期間については、お金ではなく、キャリアをつなぐことさえできればよい
と考えていたからです。

すなわち、子どもたちがもう少し大きくなり
本格的に社会復帰をする際に、履歴書の職歴に<無職>の空白期間を
つくりたくないことが第一の目的だったのです。

結果として、司法書士事務所での勤務がきっかけで
社労士資格取得をめざすことになるのですが
ここでも費用をかけずに時間を使って勉強するよりも
自分の年齢(当時35歳でした)を考え
お金を使って合格までの時間を短縮することを考えました。

資格学校に通って勉強をすることにしたのです。
資格学校の費用は全部で50万円くらいかかりました。
(うち25万円は教育訓練給付金で還付をもらいました)

その費用は最初の仕事を辞めたときの
失業給付と再就職手当でまかないました。
半年の勉強で1度の受験で合格したのは
これ以上お金をかけることはできない、
という必死さがあったからだと考えています。

社労士の受験が終わってから勤務をした
会計事務所でもスタートの時間給は900円でした。

この事務所では、仕事ができるようになるにしたがって
自分で交渉をして給料を上げてもらったり、
パートでしたが賞与での評価をしてくださったので
司法書士事務所時代よりも年収は上がりましたが
それでも正社員のときの半分くらいでした。

会計事務所の時代も目的はお金ではなく
社労士としての実務経験を積むためでしたので
必死で仕事をしました。

給料に関係なく、一所懸命仕事をしていると
それは他のスタッフにも御客様にも伝わりますので
どんどん仕事をまかせてもらえるようになります。

その結果、自分が目的としていた
実務経験を積むことができ
退職してからも、仕事を紹介してもらえたのは
勤務時代の仕事ぶりを見てくださっていたからだと思います。

仕事をしていく中で、「負けない」「損をしない」を考えることも大事ですが
逆に「これだけを得ることができれば、他は目をつぶる」があっても
よいのではないでしょうか。

損をしない生き方をしたいのであれば、雇用が保障されていて
給料も緩やかではありますが右肩あがりの公務員になればよいと思います。

私の場合は、「キャリアをつなぐ」そして「社労士としての経験を積む」を
第一に考えていました。
これだけ仕事をして1時間900円しかもらえない自分が情けなくも思いましたが
それが逆に将来はもっと稼いで取り替えそうという気持ちにつながったのだと思います。

今は単発の御相談を受けるときは、90分以内で3万円という相談費用を設定しています。
経費等もかかっていますし、ずっと単発相談が詰まっているわけではないので
単純比較はできませんが、この仕事だけを考えると時間単価は2万円ということになります。

自分の時間単価を上げるために力をつける社員を会社は手放さないでしょうし
自分の器と会社の器が合わなくなれば、さらにステップアップを目指して
転職をすればよいのです。

「自分の給料は自分で上げる」
この意識を持った社員こそが経営者が望む人材だと考えます。
労働時間ではなく、時間単価を上げるために何をすればよいのか
経営者だけではなく、働く人が自ら考えることができる組織が
本当に強い会社だと言えるのではないでしょうか。

2011年05月27日(金)更新

社員の健康管理を真剣に考える時代に

居酒屋チェーン 日本海庄やで勤務していた店長の過労死事件の高裁判決が5月25日に出ました。
高裁も下級審判決を支持し、過労死に至るような長時間労働を従業員にさせたことについて
会社の責任のみならず、会社役員の責任も認める判断を示しました。

こちらの会社では、募集の際に提示していた給料の額は、80時間の残業をした場合に
支払われる金額で、<基本給(最低賃金)+80時間のみなし残業代>という形になっていたそうです。
80時間のみなし残業代とはいえ、80時間の残業をしないと減らされる仕組みでした。

法定労働時間を超えて、従業員に仕事をさせる場合、会社は時間外協定(36協定)を締結して
労働基準監督署に届出をしなければなりません。
時間外協定を締結する際には、一定期間の残業時間の「限度時間」が定められています。
1年単位の変形労働時間制を導入している場合は1か月42時間、1年であれば320時間。
それ以外は1か月45時間、1年であれば360時間が限度です。

しかし例えば決算処理などでどうしても特定の期間だけは
その限度時間内に残業時間が収まらない場合は、
「特別条項付」の時間外協定を締結することができます。
特別条項を結んだ場合、限度時間は会社で決めることができますが(時間の上限なし)
その期間は1年のうちの半分を超えないこと(すなわち6か月を超えないこと)とされています。

日本海庄やでは、時間協定の限度時間は月100時間としており
実際に時間外残業が100時間を超えるようなシフトの組み方で
長時間労働を抑制しようとする意思が全く見られなかったこと、
さらに健康診断の実施も行っておらず、従業員の命を守るという意識が
見られないということで、過労死事件で初めて、会社だけではなく
人事担当役員を含む役員個人にも損害賠償責任を負わせる判決となりました。

人の命はひとつしかありません。
従業員の命は必ず守るというのが、人を雇う経営者が最低限やらなければならないことです。

飲食店や運送業では長時間労働が常態化し、
「うちの業界はこんなものです。労働基準法を守っていたら会社がなくなってしまいます」
など言われる経営者も中にはいますが
長時間労働は、社員の命・健康に直結するという意識を持ち
真剣に会社として取り組みを考える時期に来ているのではないでしょうか。

さらに、中小企業でおざなりになっているのが健康診断です。
「受診させる時間がない、受診させる費用を会社が持たなければならないのであれば
負担増になるのでやりたくない」など、できな理由を述べる経営者も多くいますが
健康診断を実施して、社員の健康管理をすることも会社に課せられた義務なのです。
(労働安全衛生法に定めがあり)

何か起こってからさかのぼって健康診断を受診してもらうことはできません。
「知っていればこんな無理はさせなかったのに」と考えても後の祭りなのです。

■今回の日本海庄やの事件から学ぶべきことは以下です。

○みなし残業代を給料の中に取り込む場合は、上限は時間外協定の限度時間内に収めること
○会社として時間外労働の削減するための取り組みを行うこと
・法定労働時間を知った上で、自社の労働時間の実態調査を行う。
 どの部署でどんな業務で時間外労働が発生しているのかの分析を行う。
・時間外労働が社員の能力が劣ることで増えている場合は業務の負担を減らす、配置転換をするなどの
対策を行う
・時間外労働が過重な業務によるものの場合、業務分担の見直し、人員の投入、外注の活用などの対策を立てる
・休日出勤を減らすことで、労働時間の削減に効果あり
○社員の健康管理を徹底すること

なお、平成23年4月から各都道府県労働局の労働衛生課は健康課と名称を変更
労働局でも過労死・メンタルヘルスへの対策を強化するようになっています。

残業時間を減らすことで、結果的に残業代も減ります。
しかし残業時間を減らすためには基本的には人員の補充が必要になるので
社会保険料も含めた人件費は上がることになります。

しかし人員の配置や業務フローの見直し、外注の活用などは
経営者がやるという判断を示さなければ取り組みをすることができません。
「人の命は何にも変えられない」これを頭に入れて
長時間労働の削減に真剣に取り組みをされることをお薦めします。






2011年05月20日(金)更新

会社を辞めて資格で独立開業を考えておられる方に

社労士に新規登録される方には年配の方もたくさんおられます。
在職中に資格を取り、定年退職後に年金をもらいながら
在職中の経験を活かし、小遣い稼ぎに仕事をしてみるか、といった人たちです。

実はそういった方から開業相談をよく受けるのですが
共通して感じることがあります。

それらは、年代関係なく会社を辞めて独立開業しようと考える人にとっても
必要な情報かと思いますのでブログで共有させていただきます。

私自身も11年間、会社勤務をして、司法書士事務所、会計事務所、そして
労働基準監督署で勤務をしてから開業しました。
元々自営業をするなんてこれっぽっちも思っていなかったので
「給料をもらう人」から「自分で稼ぐ人」への意識の切り替えに時間がかかりました。

「給料をもらう人」のときは、給料が安いとかボーナスが出ないとか色々あるかもしれませんが
基本的に持ち出しはありませんよね。
移動の交通費は全額会社負担。備品や事務机もあって当然。
自分が使った電話代やインターネットの接続費用を請求されることもありません。
入ってくる給料はすべてプラスです。自分の自由に使うことができます。

ところが「自分で稼ぐ人」になった瞬間に、入ってくるお金は
支払いのためのお金になります。
それどころか、お金が入ってくる前に、支払いが先行するのが
「事業を始める」ということなのです。

開業相談に来られる人の話を聞いていると
まずお金を使うことにすごく抵抗がある人が多いように思います。
名刺にはコストをかけず、ホームページなんてとんでもない、なんてなると
どうやって自分の情報を他人に伝えるのかなぁって思ってしまいます。
お金が入ってから支払い、と考えていたとすれば大きな間違いです。
お金が入ってくる仕組みをつくるために先に支払いがやってくるものなのです。

さらに、皆に共通していることは、面談のときに、会社員時代の実績を
事細かに説明し、「自分にしかそれはできない」と思い込んでる人が多いことです。
勤めていた会社ではそれができる人はご自分しかいなかったかもしれませんが
世間には同じことができる人がたくさんいます。

必死で勉強して取った社労士資格さえも
同じ資格を持っている人が世の中にはわんさといるのです。

もちろん勤務時代に積んだ経験は仕事の中で活かすことができます。
しかし、あくまでも御客様のニーズがあることが先です。

例えば紹介で御客様のところに行ったときに
自分ができることだけを延々としゃべり続ける社労士ってどうでしょう。
我々の仕事は御客様の困りごとを解決する仕事です。
まずは御客様の話を聞き、その解決手段のひとつの提案として
自分の経験を例を出すくらいに留めておいたほうがいいです。
なぜならば、あなたの会社でのやり方は、あくまでもその会社でのルールや
慣習に沿ったものでしかないからです。

さらに御客様を紹介してもらえる人脈の作り方ですが
会社の看板をはずしても、あなた個人を応援してくれる人脈を
在職中につくっておくべきです。

開業しようと思ったらまずは開業案内を出すリストを整備し
主だった人にはあいさつに出向くという行動を起こすことです。

このときに注意すべきことは、あなたの行動は相手の時間を
奪っているという意識を持つことです。
アポイントを取ること、時間を守ることは常識ですが
時間を割いてくれたことに対して感謝の気持ちを示すべきです。
可能であれば相手にとって有益な情報を個別に準備すべきでしょう。
その情報は自分の仕事の売り込みではなく、あくまでも相手視点で考えることです。

資格を取って開業すれば仕事が降ってくるわけではなく
自分で頭を下げて、まずはあなたのことをよく知っている人に
まずは自分の仕事を説明し、応援してもらえるようにお願いするべきです。

私の初めての御客様は幼馴染のお兄さん(税理士さん)が紹介してくださいました。
社労士としての経験はなかったけれども、私の人となりをよく知っておられたので
開業祝いにご紹介してくださったのです。

既に自分と付き合いがある人からの紹介を受けられないのに
開業してから異業種交流会とかで知り合った人から紹介を受けられるはずがありません。


さらに意識すべきは


・会社員時代の感覚を脱ぎ捨て、収益を得るために投資をするマインドを持つこと
・自分ができることを整理した上で、まずは人の話を聞くことに徹すること
・資格を持っている、経験があることだけで仕事が沸いてくることはないこと
・まずは自分の知っている人に自分の仕事を知ってもらうこと
・人に話しを聞いてもらうためには、まずその人の役にたつことを自分が先にすること
・社労士とはどういう仕事なのかを体感するために、まずは社労士会に積極的に参加をして他の社労士の話を聞くこと


などがあげられるでしょう。

ホームページの作成やメルマガ・ニュースレターの配信など、情報発信のためにやるべきことは
その他たくさんありますが、(これら詳細は拙著『稼げる社労士の集客術』に書いています)
まずは自分の周りにいる人に応援してもらえる自分になることを
考えて行動に移すことが先決です。

お金を使うのが嫌な人。人に頭を下げたり、行動するのが面倒、おっくうな人は、
投資をしたところで回収できない可能性があります。
はっきり言って自営業には向いていません。
独立開業はあきらめて、他に年金等収入があるのであれば、行政協力だけに参加をする、
社労士会の仕事を手伝うなどの選択をすれば投資もありませんし、
適当に時間もつぶれるのでよいかと思われます。

自営業の世界はとても厳しいです。
自分の看板を自分でつくりあげていかなければなりません。
片手間でできるものではないので、やるならやるで本気でやっていただくようお願いします。




2011年05月17日(火)更新

元上司と12年ぶりの宴席

今日は、私が新卒で入社し11年間勤務していた
会社の入社当時の上司(直属の課長+部門長+同じ部の課長)4名と
一緒にお食事をしました。

集まるきっかけになったの私の出版感謝祭です。
元上司にも案内を送りました。
欠席の連絡を電話でいただき、近況をお聞きして(みなさん定年退職されています)
それならば、一度お食事でもいかがですか?と声がけをして
今日の宴席となりました。

会社員のときはご多分にもれず、会社の組織について文句を言ったり
営業だったので予算云々に対する文句を言ったりして決していい社員ではなかったと思います。

しかし会社を辞めて独立してからは
会社で11年間学んだことが自分の身になっていることに気づきました。
今でもすごく困ったときは会社の上司が夢に出てきます。
夢の中で上司に相談している自分がいるのです。

会社を辞めた時点では会社でこれだけ学ばせてもらったことに気づいていなかったので
そのままあっさり退職しましたが、ずっとお礼を言いたいと思っていたので
今日は本当にいい機会でした。

直属の上司だった課長からは、私が10連休を取って海外旅行に行きたい(というか行く!という決定事項でした・汗)と
言い出したときに、会社の上層部と掛け合ってくれたこと、
そして私が休んでいる間に予想される仕事を全部便箋に書き出して上司に提出していて
その内容があまりに完璧だったので、これならば大丈夫と思ってくださったこと
(便箋の件は私はすっかり忘れていました)など昔話に花が咲きました。

私が「こんなに何もできない自分に給料を払ってくれた会社ってすごいと今になって思っています」と
部長に伝えると、部長はこうおっしゃいました。

『人を雇うことで「足し算」になっている間は、足をひっぱっている人には給料は払えないけれども
「掛け算」になっているとひとりくらい仕事ができない人がいても十分給料は払えるんやで』
ということでした。

さらに私は確かにぶっ飛んでいたけど(笑)
元上司4人が口をそろえて言ってくださったことは
「あんたは、よう人の話を聞いていた」ということでした。

自分では意識はしていませんでしたが、実は今もそのスタンスは変わっていなくて
とりあえず人の話を聞いて吸収しようという意識はめちゃめちゃあります。
20年前の私もそうだったのか、とわかってとってもうれしかったです。

元上司チームは定年を迎えられ、ご家族の介護とか会社勤務のときには
表に出で来なかった家族のことなど色々問題も抱えておられるようでしたが
みなさんお元気で、むしろ会社の諸々のストレスから開放されて
顔色もよくて楽しい時間を過ごすことができました。

自分ひとりの力で大きくなったように思い勝ちですが
実は今の自分はたくさんの人が作り上げてくれたものなんだなぁって
改めて感じました。

そして何より会社で学んだこんなこと、あんなことが
今、こういう風に役に立っています、と元上司たちに報告ができたことが何よりでした。

2011年05月16日(月)更新

7割でOKとする生き方

「仕事と家庭との両立って大変でしょ」とよく言われます。
自分的には両立ができているなんて思っていなくて
仕事は100%以上の力で必死でやってますが
家事とかその他地域での仕事などは出力40%以下です。

でもこの出力40%でいいや、と思える自分になるまで随分時間がかかりました。
人間、普通に生きていれば当然何でも100%を目指すと思います。
少なくとも私は何事も100%を越えたいと常に思って生きてきました。

子どもの頃は100点満点を取ることを目標にテストに挑んでいましたし
実際「神童」と呼ばれたこともあったので(自分の祖父母からですが・笑)
小学校の頃は100点をとって当たり前という学校生活を送っておりました。

そんな私が100点を目指さなくなったというか
100点でなくてもいいんだ、って気持ちを切り替えるきっかけになったのは
社労士試験でした。

8月末に実施される試験を、当年の2月上旬に受験することを決めて資格学校に入学しました。
法学部出身でもありませんし、法律の勉強をするのは初めてでした。
また仕事は営業をやっていたので、試験範囲の内容は全く知らないことばかりでした。
社労士試験は国家試験で、合格率は8%くらいでした。

2月から毎週週末は学校に通い、とにかく毎日4時間くらい勉強をしました。
以前勤務していた会社にアルバイトで行っていたので往復の電車の中と
朝30分早く行ってコーヒーショップで過去問を解いてから行くのを日課としていました。

必死で勉強をしたけれども直前の7月の模試でも合格点に達しませんでした。
そんなときに勉強仲間の、司法書士試験の受験生が教えてくれたことがあります。

「合格するために70点以上取らなければならないのであれば
100点を目指すのではなく、7割の問題を落とさないようにすればいいんやで。
100点を取ろうと思うから問題の中の難問に足をとられて簡単な問題まで落としてしまうんや」

このアドバイスがなければ実務も未経験、英文学科出身の私がたった半年の勉強で
一発合格することはなかったと思います。

その試験以降、必要最小限だけやればOKという気持ちになれる自分が生まれました。
やらなければならないことの中で絶対に落とせない7割を見極めて、それを完璧にするのです。

子どもが小さいときなど、時間を仕事に取れないときは、仕事のサイズを小さくして
小さい中で完璧をめざすことにしました。
私がパートタイム勤務で仕事をしていたのはその理由です。

子どもというのはどんどん大きくなります。
子どもが大きくなるに連れて仕事と家庭の時間のバランスを変えていけばよいのです。

今も本当はもっと仕事を取ることができます。
実は今年に入ってからもご紹介を何件かお断りしました。
それは自分ができる枠以上の仕事を取ってしまうと
完全な仕事ができないからです。

でも欲を張らずにそれでもいいや、と自分を納得させつつ
家族との時間とのバランスをとって、100点でなくても自分を許すことが
両立のポイントだと思います。

家族が一番望んでいるのは「いつも機嫌がよいおかあさん」がいることだと思うので。
ホンマのホンマはもっともっと仕事をしたい、、、けど仕事だけできても
誰も周りにいないと、何のために仕事をしているのかわからなくなるので
家族が泣かないギリギリのところを見極めて、その線で仕事をしていきたいと思います。

2011年05月15日(日)更新

本当の人脈のつくりかた

昨年、『稼げる社労士の集客術』(日本実業出版社)を上梓してから
独立開業したばかりの同業者さんからの相談がかなり増えました。

そもそも、その前から相談されることが多く
正直、対応に時間も取られるので、
(私は同業者さんへの開業支援は商売にする気は毛頭ないので)
本に書いてしまえば、みんなそれを読んでくれるだろうと思っていたのですが
それは大きな間違いでした。

本を読んでくださった方が、私の考えややり方に共感してくださって
ご自身も同じようにやりたい、というのはとてもありがたくうれしいのですが
ひとつ言えることは、ずばり同じことをするのではなく
自分自身に落とし込んで行動をしてみるということが大事なのでは・・ということです。

本を読む人は他人の経験を活かしてショートカットを考えておられるのかもしれませんが
結果的に寄り道になったとしても、やったことで土台ができるということもあります。
例えば、私は本の中で行政協力は「止めること」と事業仕分けをしていますが
それは自分がやったから「止める」という答えを引き出せたからで
実はやったことで得たものも大きいのです。

本で書きたかったことは「引き際」が大事だということで
やってみて得ることが必ずあります。

勉強会の活用で人脈をつくりあげることを提案していますが
既にある勉強会に参加することもいいですが
まずは本に書いているように自分の周りの人(受験仲間等、自分と同じレベルの人)と
やってみるということも大事です。

勉強会は参加するだけではあまり得るものはなく
運営に回ってこそ本当の人脈もできてきます。
いきなり大きな組織で運営スタッフには入れないので
まずは手近なところで練習をするのです。

先日の出版感謝祭にも70名もの方にお集まりいただきましたが
思い起こせば、自分にとってのキーマンがつなげてくれた人脈から
大きくつながっていったことがわかります。
キーマンに対しては、自分からお願いしたのではなく
キーマンに応援してもらえる自分になるように意識して行動した結果だと思います。

他人に何かをしてもらいたかったらまずは自分がその人にとって役に立つことをやってみる。
先に与えるということですよね。

人それぞれ自分を取り巻く環境も違いますし
周りの人から求められる役割も違います。

いつも私が思っていることは
「自分の目の前にいる人を幸せにできなければ
もっと離れた人は幸せにできない」ということです。

出会うべき御客様と出会うためにも
まずは自分の目の前の人に自分から与えるを繰り返すことで
いつの間にか自分を応援してくれる人脈ができていくのではないでしょうか。

2011年05月14日(土)更新

大阪出版感謝祭を無事終えました!

昨日、大阪にて出版感謝祭を開催させていただきました。
今回も70名もの人にお集まりいただくことができました。
まずはみなさんにお礼申し上げます。

出版記念イベントは今回で5回目になります。
最初の書籍である『小さな会社のトクする人の雇い方・給料の払い方』のときと
前回の書籍『稼げる社労士の集客術』のときにそれぞれ大阪と東京で開催しました。

元々イベントを開催したり、企画するのがすごく好きで
「こんなことをやったらおもろいんちゃうかー」とか
アイデアがどんどん出てきます。

確か初めての東京のパーティに来られた方の感想で
「普通は出版祝いといえば、主催者がいて、著者は祝われるという位置にいることが多いけれど
いよりさんのパーティは自らガンガン仕切りまくっていました」というものがありました。

それはそれで参加者の方には楽しんでいただけたようですが
でも参加してくださっているみなさんは、そもそも私にお祝いとか、がんばったね、とか
本のここがよかったよ、とか言いたくて来てくださっているはず。

イベントを仕切る=みなさんとお話する時間がない、ということになるので
今回はまず人数を集めることは考えないことにしました。
いつもならイベント概要をホームページに載せて
ツイッターがブログで告知を行うのですが
今回は面識がある方への書面でのご案内と
事務所通信だけにしたのです。

参加者が10人でも20人でもいいや。
わざわざ出向いてお祝いの言葉をかけてやろう、って
思ってくださる方だけ集まっていただければよいし。
とにかく来てくださった方をおもてなしさせていただこうと考えました。

テーマを「昭和の宴会」としたのは、昭和の時代って今のように
SNSとかブログとかもなくてリアルの人間関係だけでつながっていましたよね。
あの時代のように、目の前にいる人と人とのつながりを大事にして
人の体温を感じたいなぁって思ったからです。

今回は、「みなさんへのおもてなしがメイン+昭和の宴会」ということで
めっちゃ短絡的ですが、自分がホステスとなってみなさんを
もてなすことにしました。

ホステスといえば北新地。
新地でドレスを調達し、美容院を探して
セットとメイクをお願いしました。

今、思えばそこまでやるのであれば
1週間くらい新地でアルバイトをして
接客を学ぶべきでした。
(雇ってくれる店があるかないかは別として・笑)

いつもなら受付でみなさんをお出迎えするのですが
今回はずっと潜伏していて、司会の方の「これから始めます!」の声で
なまめかしい服装でバーンと登場!
あのときの会場のざわめきは今も忘れません・笑
(ちなみに遅れて入ってこられた方に廊下で待機している姿を見られたのですが
私とは気づかなかったらしいです!恐るべし新地メイク!)

古くからの友人の30代男子は、「逆セクハラやー。夢に出てくるから止めて!!」と
拒否反応を示しておりましたが、ほかはおおむね好評というか
「ようそこまでやるなぁ」という感じでした(笑)

そうそう、新地でセットしてもらった美容師さんに
「今日は何かイベントですか?」と聞かれて
「出版のイベントなんです」と答え、ちょうど会場でプレゼントをする本を持っていたので
お見せしたところ『社員の辞めさせ方』の本にアンテナがビーンと立っておられたので
1冊プレゼントしました。
その方はその美容院のオーナーだったのですが、ぱっと話を聞いただけで
これって反応される本が売れる本なんだなぁって感じました。

今回も経営者会報ブログのみなさんにたくさんお越しいただきました。
司会をしていただいた村上さんをはじめ、締めのあいさつをしてくださった庄山さん
(携帯電話のやりとりの説明が絶妙でした!みんな「男らしいいよりさん」の
キーワードに反応しすぎやったし!・笑)
ブログに早速濃厚写真をUPしてくださった寺田さん、治部さん、澤田さん、
休会中のはまのさん、同じ社労士の西村さん、ありがとうございました!

お祝いの電報をいただきました古芝さん、お花をいただきましたニイホさんも
ありがとうございました!

そうそう、最初のあいさつの締めで言い忘れたのですが
命がある限り、世のために自分の命を使いきりたいと思っています。
社労士の仕事もその命をつかうひとつなのですが
それと同じ重さで、執筆の仕事も命を削ってやっていきたいと思っています。

本を書くことは、最初は御客様を増やしたい、自分の仕事の宣伝をしたい、という
下心がありました。でも今は、純粋に自分の経験や知識で世の人の役にたちたいと
考えています。

どうぞこれからも引き続き応援をしていただけますようにお願い申し上げます。





2011年05月10日(火)更新

頼もしや 女性経営者の先輩!

彼女たちに出会ったのはもう4年前のことになります。
私がまだ自宅を事務所にしていて
お客様が増えなくてもがき苦しんでいた時代でした。

勉強会で知り合ったライフプランナーの人とランチをしていて
「いよりん、今、どんな人に会ってみたい?」と聞かれて
「元気な女性経営者に会ってみたい」と言ったところ
紹介をされたのが彼女たちでした。

年齢は私より上の人も同じ年の人も年下の人もいます。
経営者もいる、経営者の娘もいる、従業員の立場で営業をしている人もいる。
みんな共通のことは、根がオッサンで、お酒が好きで歯に衣着せぬ物言いだということ(笑)
でも昭和の人間なので義理を欠くことなく、みんなまっとう。

普段、私の周りは実は男性の方が圧倒的に多いです。
経営者も男性が多いし、勉強会に行っても男性ばかり。

女性もたまにいますが、どちらかといえば、みんな
「いよりさんって、仕事も家庭もちゃんとやっておられてすごいですね」
的な、すごい人目線で私のことを見てくれてる女子が多いのです。

ところが彼女たちは容赦なしです。
今日も「今度、仙台に行くことになったんやけど、飛行機は飛んでないみたいやねん」と
少し弱音を吐いたところ、「何言うてるの?新幹線あるだけでもましやん。私なんか
新幹線ないときから日帰りで言ってたで」とバッサリ。

これまでも、職員さんが退職してしまったときなどに
色々弱音を吐いてみても、見事に跳ね返されます。
「あんたが、わがままやねん」とバッサリ。

そしていつも必ず言われることは、「あんたこんなに好きに仕事ができるのは
ご主人のおかげやで。大事にせなアカンで」と。
(ちなみに私以外の人は全員離婚経験者です・・・)

でもこれだけのことを言いはるだけ
ご自身は私よりもっとすごい山を乗り越えておられて
この人達に言われたら仕方ないなぁって感じです。

本音で話せて、でも根っこには温かい思いがあって
そんな彼女たちと知り合うことができて本当によかったです。

今日はそのメンバーの一人の講演でした。
感謝の気持ちは持つだけではなく、言葉を口にする
手紙を書く、メールで伝えるなど、具体的に行動しないと
相手には伝わらない。
感謝されることで人は自分の存在意義を感じるという話があり
まさに自分がきちんとできていないことだと気づきました。

人のご縁ってありがたいです。
彼女たちのチームの一員として
ふさわしい自分でありたいと改めて今日は感じました。


2011年05月09日(月)更新

満身創痍な感じ

思い起こせば昨年末のことでした。
事務員さんの急な退職があり、多忙の12月を一人で乗りきり
年が明けて、雑誌の原稿+単行本の原稿+確定申告+2本の大きなセミナー。
週末は事務所合宿の日々が3月初めまで続きました。

単行本が無事発売になり、一息ついたあたりから
身体がだるかったり、肩こりがひどくて・・・

会員になっているマッサージやさんから
お誕生日クーポンがやってきたので
今日、全身リンパマッサージ2時間コースに行ってきました!

足の裏までむくみがきていたようで
驚くくらいひどい状態だったようです。
肩はトクにひどくて、マッサージをする人に
「生活に不自由ありませんでしたか?」と
心配される始末。

色々ツボを押されてホンマに痛かったけど
おかげさまで随分身体が軽くなった気がします。

運動不足というのもありますし
何よりも加齢で代謝力が弱まってるんでしょうね。

我々の仕事は身体が資本なので
今年は自分の身体のメンテナンスもしつつ
仕事をしていきたいと思います。


2011年05月06日(金)更新

ゴールデンウィークは家族旅行に

ゴールデンウィークも後半にさしかかりました。
今日も電話は静かです。

うちの事務所は暦通りの営業・・というか
4月29日(金)30日(土)は仕事。
1日(日)は休んで2日(月)も仕事をしていました。

家族との時間も持たねばと思い
2日(月)は17時に仕事を終えて
子ども達と合流して実家に移動。

翌日朝に主人と合流して4日、5日と
名古屋港水族館→伊良湖(泊)
翌日は伊良湖から鳥羽にフェリーで渡り
伊勢で赤福氷を食べる旅に出てきました。

うちの家族はゴールデンウィークとお盆には
旅行には行かないという暗黙ルールがあります。
(車が混むのと主人は盆休みがないため)

しかし今年は春休みに旅行に行けなかったことと
娘が受験のため夏休みにも多分旅行には行けないので
行ってみましたが、やっぱり車が混んでたし
名古屋の水族館も気分が悪くなるくらいに人がウジャウジャいました。

でもよかったことは、やっぱり大阪を離れると
仕事のこととかスッパリ忘れてレジャーに集中ができるということです。

娘は12日から沖縄へ修学旅行に行きます。
先日、デジカメを買ってあげたので、デジカメの練習も
今回の旅行ですることになっていました。
すぐに慣れてバチバチ撮影しておりました。
(あ、、ここで娘撮影の写真を入れるとよかったのか・・残念!)

4月はブログを1回しか書いていなかったので
今月からまた書いていきたいと思います。




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