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2011年02月01日(火)更新

幼保一体化が不安な理由

幼保一体化が叫ばれ進もうとしています。
2人の子どもを0歳児から保育所に入れて
仕事をしてきた母親として、ホンマにそれでいいんかなと思っています。

結婚して子が授かったとき、うれしい気持ちと
仕事を続けることに対する不安でいっぱいになりました。

実際に生まれてきたわが子の顔を見てからは尚更です。
自分がいなければ何もできない子を他人に預けるなんて
そこまでして自分のやりたいことを貫くべきなのか・・
かなりの葛藤がありました。

さらに周りの人の声がグサグサ心に突き刺さります。
「せめて3歳まではそばにいてあげたほうがいいよ」
「そんなことまでして働く意味あるの?」
「絶対将来不良になるで」

子どもが風邪気味で熱が出そうなときと
お客様との大事な面談が重なったとき、
「ごめんな、ごめんな、」と思いながら
保育所に連れて行ったことも何度もあります。

親はこんな気持ちですが、
実は子どもは保育所での生活を
楽しんでいたりします。
ゼロ歳から一緒に育った友達と
幼児なりに社会生活を営んでいます。
1歳でおもちゃの譲り合いや、順番を待つことができるのは
保育所で育った子だけではないかと思っています。

こんな彼らの世界が一変するのが、実は小学校入学時なのです。
そこで彼らは広い世界に放り出されます。
お母さんが昼間から家にいる家庭が大半だということに気付くのです。

授業が終わって母親が働いている子どもは学童保育に行き
そのほかの大半の子どもは帰宅します。
帰宅する子ども達は遊ぶ約束をしています。

仲間に入れない学童保育の子ども達は家に帰って母親に言います。
「お母さんも家におってよ。友達の家はお母さんが家にいるで
もう仕事なんて行かんといて」

保育所の送り迎えが終わってほっとしている母親が
絶対に通らなければならない道です。

そしてさらに追い打ちをかけるように
小学校のすべての行事は、大半を占める家にいるお母さんの
都合に合わせたものになっています。

参観日がほとんど平日なのを筆頭に、個人懇談の最終は17時まで。
低学年の間は、社会見学への付き添いや集団下校の付き添いなど
多くの行事があります。
子どもはそのたびに友達のお母さんは来てても
自分のお母さんはいない、を経験します。

PTA活動も当然昼間。
会議だというので仕事を遅らせて10時に行くと
15分で終了というときもありました。
働く母の時間の流れと家にいるお母さんの時間の流れは明らかに違い、
そしてその多勢の時間の流れが小学校の行事を支配しているのです。

幼保一体化になって懸念されるのは、この小学校での状況を
子ども達がもっと小さいときに体験してしまうということなのです。
いつも早くお迎えに来てもらえて、帰宅後家で遊べる
家にお母さんがいる子ども達と、閉園まで親を待つ子ども達。

そして多勢の家にいる母親の時間の流れに支配される行事。
幼稚園と保育所を一緒にする必要があるのでしょうか。
働く母親が望んでいるのは保育所の増設のはず。

そもそも幼稚園と保育所は目的が違います。
幼稚園は幼児教育の充実を目的としており
保育所は、保育に欠ける児童の養育です。

待機児童があふれていて
幼稚園は定員割れということならば
幼稚園の統廃合を進めて、空いたところを保育所にすればいいのでは。

こども園は文部科学省の管轄になるのであれば
幼稚園の先生が保育も行うのでしょうか。。

もう自分の子どもはその年代は済みましたが
これからの働くお母さんと保育所に通う子ども達のことを
考えるととても心配です。

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